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ごあいさつ 100年に一度の大変革を!
私たちは今、100年に一度の国難を迎えています。
コロナ禍で、子どもたちは成長期に我慢を強いられ、若者たちは青春の機会を失い、高齢者の方々は大切な時間を奪われ、現役世代はその責任が重くのしかかっています。この国難を乗り越えるためには、100年に一度の大変革を起こすしかありません。
さらに、2060年には愛媛県の人口が78万人になるという衝撃的な数字が予測されています。人口の減少は、国力の低下につながり、私たちの生活そのものが成り立たなくなります。しかし、私たちはその未来を受け入れるわけにはいけません。1日も早くコロナ禍の生活を元に戻し、人口減少社会に徹底的に抗い、たとえ人口が減ったとしても笑顔は減らない、幸せが溢れる豊かな社会を実現しなくてはなりません。
そのためには
「挑戦、この道しかありません」
私たちの未来を変えるために、
全力で働いてまいります。
プロフィール
愛媛県松山市生まれ
道後中学校・新田高等学校・高野山大学仏教学部卒
愛媛県議会議員選挙2023に挑戦中
2015年 愛媛県議会議員選挙 初当選
2019年 愛媛県議会議員選挙 2期目当選
#愛媛県議会議員選挙2023
#愛媛県議選
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#道後山の手ホテル
- 【経歴】
- 道後山の手ホテル 代表取締役(現職) / 松山市青少年育成市民会議 会長 / 社)松山青年会議所 理事長 / (財)松山市男女共同参画推進財団 理事 / 愛媛県旅館ホテル生活衛生同業組合 青年部長 / (公社)日本青年会議所 四国地区協議会 会長 / (公社)日本青年会議所 愛媛ブロック協議会 会長 / 松山市障がい者総合支援協議会 委員 / まつやま子ども育成会議 委員 / 公益財団法人被害者支援センターえひめ 理事 / 短編映画「お遍路ガール〜四国88サイクリング〜」 エグゼクティブプロデューサー / 道後温泉旅館協同組合 理事 / 愛媛県調理師会 顧問 / 一般社団法人 全日本司厨士協会 愛媛県本部 顧問 / 愛媛県鳶土工業連合会 顧問
3分でわかる帽子大輔
幼少期
- 1977年2月26日、愛媛県松山市に生まれる。
- 小さい頃からおとなしい性格で、物静かだった。
- 幼稚園に行くのが嫌いで、いつもバス停で行きたくないと泣いていた。
- 将来の夢はロボットを作る博士になりたいと、レゴブロックで遊んでいた。
- 近所の野良犬を拾って来て、親の反対があったが、わがままを言い、最終的に飼うことになった。当時生活は裕福ではなかったが、せめて犬の名前だけはということで、近所の友達の提案で「リッチ」と名付けた。
小学校時代
- ボールを蹴るのが好きで、いつもサッカーをしていた。当時キャプテン翼が流行っていたので、オーバーヘッドキックの練習をしていたら、空振りして鎖骨を折った。
- 小学校3年生の時に、母親を事故で亡くした。当時私が8歳、妹が3歳だった。弔問客を状況が理解できない妹が満面の笑みで迎えるその光景があまりにも悲しく、今でも忘れられない。
- 授業中、勉強は中の中だったが、思ったことは必ず挙手をして発言した。基本的には目立つ事が好きではなかったが、自分が感じた事は、言わずにはいられなかった。
中学校時代
- 参観日や親が参加するイベントがあると、おばあちゃんが代わりにくるのが申し訳ないと思い、案内文を渡さなかった。今思えば、おばあちゃんに悪いことをしたと思っている。
- 夏休みや冬休みになると、実家の旅館で皿洗いと布団の上げ下げのアルバイトをしていた。当時、全額貯金をしていたはずなのだが、あのお金はどこにいったのだろう?
高校時代
- 高校からは校内の部活ではなく、社会人のクラブに入ってサッカーをしたいと思っていたら、校外での活動は届け出が必要だと担任の先生に言われ、「何故そこまで管理されなければならないのか?」と校長室に突撃した。理由は忘れてしまったが、それなりに納得する説明をされ、上手く丸め込まれてしまった。ただ、その校長先生は本当に生徒思いの良い先生だった。
- お弁当を自分で作ることになり、前の日の残りや時にはご飯とカレーという反則技を使いながら、高校生活を乗り切った。お弁当を作り続ける事は大変だなーとつくづく思った。あとあの頃はいつもお腹がすいていた。若かった(笑)。
大学時代
- 高野山大学は標高800mの盆地にあり、高野町の人口4000人のうち、1000人が僧侶という町で、国宝級の建物や仏像も多く、神秘的で荘厳な雰囲気だった。
- 家賃が4畳半で1万5000円という下宿に住むことになった。ただ、トイレもお風呂も共同の上、お風呂は月・水・金の19:00〜21:00の2時間しか入れず不便だったが、愛媛県にゆかりのある普賢院の宿坊でアルバイトをしながら、お風呂を使わせてもらっていた。
- このようなご縁もあり、得度をする時は、普賢院の森寛勝住職に名前をお願いすることとなり、森住職から「勝」という一文字とお大師様から「弘」という一文字を使わせて頂き、「勝弘」という僧名を頂いた。
- 私が物事を深く考えてから行動するようになったのは、この4年間が大きかったと思う。
社会人時代
- 大学卒業後、カリフォルニアの語学学校に短期留学をした。何も考えずただ視野を拡げたいという気持ちだったが、多くの出会いに恵まれた。この時の体験が、自分の考え方の幅を広げた事は間違いない。
- 実家の旅館に戻り、企画などに携わったが、まだインターネットが普及していない時代に、コストをかけず小さな魅力を伝えることは難しく、抜本的な経営形態が必要だと感じた。
- オールドイングランドという新しいコンセプトのもと、旅館業からホテル業に転換することを決断した。この時、「古い木造旅館を壊すなんて・・・」とお叱りの声も頂いたが、生き残ることに必死だったし、歴史ある道後を汚すようなホテルにはしないという自負もあった。ただ、解体が始まる当日、壊れゆく旅館を涙なしで見ることは出来なかった。
- 2004年にオールドイングランド道後山の手ホテルをオープン。当時の社長(親父)と私(専務)以外は全員が、ホテルオープンのために入社したスタッフだったが、みんなで朝から夜中まで、アイデアを出し、改善し、働き続けた。その状況が2年間は続いたと思う。今考えればむちゃくちゃな状況だったが、今の事業があるのは、一緒に立ち上げたスタッフのお陰だと思っている。
- ホテルがオープンして2年が経った頃。自ら企業経営をする中、いくら一つの会社が頑張っても、地域全体が良くならなければみんなの生活が良くならないのではないかと思うようになり、地域活動や社会活動に積極的に参加するようになった。一方で世間ではサブプライムローン問題が起こり、アメリカのみならず、国内の景気も悪くなる中、投機マネーや株主のための企業経営が優先されるニュースが後を絶たず、この頃から利益優先の社会に疑問を持ち、企業の存在意義とは何なのかと考えるようになった。
- 2011年3月11日東日本大震災が発災。多くの被害が拡大していく一方で、被災者がお互いに励まし合い前向きに生きている中、国家が国家として機能しない状況に苛立ちを覚えた。その後の対応も時間がかかり、政治は国民を救うためにあるのではないのかと憤りを感じたが、その思いを打つけるべき政権は、あっという間に崩壊していった。
- 2012年9月、野党であった自民党の総裁選挙において、一回目の投票で2位だった安倍晋三が決選投票で勝利し総裁に選出された。政治の世界で一度失敗しても、確かな志を持ち続けていれば、またチャンスを手にする事があるのだと、テレビの前で涙した。
- 2014年10月、かねてからの政治に対しての自分の思いが高まり、翌年行われる愛媛県議会議員選挙への出馬表明をした。
- 出馬表明をしてからは、仲が良ければ良い人ほど、自分を見られる目が厳しくなることを感じた。政治家を志すことは、時に応援を頂くこともあるが、時に孤独であることも知った。しかし、世のため、人のため、地域のため、という気持ちを持ち続け選挙戦の最終日を迎えたとき、私は1人ではなかったことに気づいた。38年間という限られた人生の中で出会った、多くの人に支えられて投票日までたどり着いた事を本当に有り難く思った。
- 2015年4月、38歳で初当選を果たす。テレビでの「当確」がなかなか出ず、いろんな思いが頭を巡り、「当確」が出たときには喜ぶタイミングを逸してしまった。しかし、報告会場に到着し、自分のことのように喜んでくれている、支援者の皆さんの顔をみて、本当に感謝の気持ちが止まらなかった。
挑戦 私たちの未来を変える挑戦
挑戦 1 徹底した子育て支援を!
少子化対策・子育て対策は日本の大事業。防衛費も大切ですが、それ以上の予算を子育て政策に充てる覚悟がなければ、この国を救うことはできません。
子どもの医療費・保育料・給食費の無償化や返済の要らない奨学金制度の設立を目指します。また、ひとり親や多子世帯が孤立しない、安心して子育てできる社会づくりに挑戦します。
挑戦 2
県民所得の向上につながる
経済対策を!
コロナ禍で傷ついた個人事業主・中小企業・農林水産業・観光・小売業などの経済対策に最優先で取り組みます。
またDX推進と生産性の向上で県内総生産を増やし、県民の所得向上を目指します。さらにコロナ禍での価値観の変化を捉え、若者と女性が活躍しやすい環境をつくり、移住者の倍増を進めます。
挑戦 3 人を守り、人を豊かにする政策を!
災害に強い人づくり・まちづくり、障がい者の生活保障の推進で日本一安心な街を目指し、DXによる予防への取り組みで、健康寿命の延伸と介護負担の軽減を推進します。
また、文化・エンタメ・スポーツの磨き上げで、全世代が楽しめるまちづくりに挑戦します。
挑戦 4 決断する政治を!
この8年間、地方と現場の声を365日聞いてきました。
国民が求めているのは、決断です。私は、勇気を持って決断する政治を行なっていきます。
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